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まなびばでは朝日新聞・ASAミニコミ紙「ふれあい倶楽部」にコラムを連載執筆中です。ここにはその連載号を転載いたします。
第40回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2011年11月号から転載
鹿児島県 知覧(ちらん)に行きました。JR鹿児島中央駅前より、知覧行きのバスに乗り、海沿いを走り、小高い山岳地帯を抜け、青々とした、木立に囲まれた、クネクネ道を一時間程度行くと、知覧の特攻平和会館前に到着します。特攻平和会館は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、アメリカ軍の本土上陸を一日でも阻止すべき、飛行機もろとも敵艦に体当たりする陸軍の特別攻撃隊の隊員の、遺品、遺書、写真等が保存されていて、特攻隊員の攻撃命令が出るまでの、隊員の残り少ない生き様や真の姿を、後世に正確に伝え、特攻を通して、戦争のむなしさ、平和のありがたさ、命の尊さを伝承し、世界平和を祈願するべき目的でつくられた記念館です。館の前には、特攻隊員の英霊を祭る神社、灯篭や、実際に使われた特攻機の復元モデル、出撃前前夜に家族や恋人に、遺書を書き残した、三角兵舎などがあります。
現在の高校生から、大学生に当たる若者が、日本全国から、国を思い、父母、兄弟、家族、恋人を思い、永遠の平和を願いながら、開聞岳の彼方に片道の燃料の特攻機ともに、消えて行きました。若者の中には、米国と日本を愛した、日系アメリカ人の隊員、出撃前に、泣きながら、静かにアリランを歌って、沖縄の美しい海と空に散華した、在日韓国人の隊員、新婚生活一ヶ月半、新妻の写真を載せて、爆弾のない特攻機に乗った隊員がいたことを考えると、私は、感無量になり、涙がこみ上げてきました。展示された写真を見る限り、皆一様に、死を目前にしても、屈託のない微笑みを絶やさず、出撃直前には、握り飯を、大きな口を開けて、ほおばっています。しかし、笑みの裏には、本当は、何があったのだろうかと思わざる得ません。そして、彼らは、「ワレ トツニュウスル」と無電の電鍵を素早くたたき、歯を食いしばり、目を見開き、全身の血をみなぎらせて、ただ一筋に、突入、戦争の名のもとに、散華していきました。
その後、日本がポツダム宣言を受け入れ、1945年8月15日正午、NHKラジオで、天皇陛下自身の肉声により、日本が戦争に負けたことを国民に知らせました。それから、66年の年月が過ぎ去り、日本は確かに平和な国になりました。その平和は、国を想い、家族を想い、大空に消えていった若人のお陰なのかもしれません。また、私自身のことを考えると、当時、敵国であったアメリカに住み、子供たちは、アメリカと日本の二重国籍を持ち、現在、日米間の教育文化交流の分野で生活をしています。こんな自由奔放の生き方ができるのも、すべて、日本や、家族を本気で死をもって守ろうとした若人のお陰かもしれないと思います。
合掌
第39回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2011年9月号から転載
潮干狩りに行きました。まずは、近くのスーパーで、貝獲り用のライセンスを買います。ライセンスとは「海や川で、貝を獲ってもいいですよ!」と言う、ワシントン州発行の潮干狩り専用の許可書です。一日有効のものと、一年有効のものとがありますが、また行くこともあるだろうからと思い、一年有効なものを買っておきました。15ドルぐらいだったと思います。ついでに、蟹獲りの許可書も、5ドルほど払って、買いました。
次に、潮干狩りへ行くビーチを探すわけですが、まずは、ビーチがオープンしている、時期、曜日、そして、潮の状態(干潮時だけ潮干狩りができる)を把握する必要があります。ビーチによっては、年に数回だけオープンする場所もあります。そういう場所は比較的、人があまり行かないので、貝が山のように獲れます。本当に山のように。それも大きいのがたくさん。シアトル近郊のビーチは、潮干狩りをする人のために、貝をバラまいて、入園料をとっている訳ではないので、貝は、人が来ようが、来まいが、自然にそこで育ち、そこで一生を終えることになります。持ち帰ってもいい貝のサイズは州法により大変厳しく規定されています。違反すると、容赦なく、法律で罰せられます。例えば、アサリを掘った後の穴は、きっちりと掃除して帰らないと、140ドルの罰金になります。牡蠣に関しては、外の貝殻のみ、ビーチに残して、中だけ持っても宜しい。それも15匹分までです。但し、その場で食べるのは、ご自由にどうぞとか。色々とルールがあります。また、警備員が、時々、ビーチをパトロールしていて、ライセンスの提示を求めることもあります。このような厳しいルール上での、潮干狩りになるので、貝は乱獲から守られ、子の世代から、孫の世代へと、継承される「自然の恵み」となるのです。
今回は、フェリーに乗って、オリンピック半島の方へ遠出しました。望むは太平洋の大海原です。海岸線へたどり着くと、遠浅の砂地が、海岸線の向こうまで広がっています。センターラインがない砂地道路を何マイルも横着無人に走り、適当なところで駐車すると、あたりそこらに、牡蠣、牡蠣、そして、牡蠣。どこまでも牡蠣の行列が山のように続いています。牡蠣はその場で、中を開けて、醤油とポン酢で食し、外の貝の部分は、その場で、海に戻す。そうすると、また牡蠣が育つわけ。いくら食べてもいいのですが、数十個も食べると、もうこんなもんでええか!となります。ここに貝を獲りに来る人が、皆、僕のように牡蠣目当てで来ていたら、もう遠くの昔に、シアトルの牡蠣は一匹足らず無くなっていたことだと思います。
第38回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2011年7月号から転載
今、ニッポンは大変です。津波、大地震、ガソリン高騰、原発処理問題、円高、失業率の増加とリストは延々と続きます。 ここシアトルにおいては、地震による原発の放射能漏れの報道が大きな話題となっています。例えば、カンザス州(アメリカ大陸の中央部にある州)では、ニッポンのフクシマから飛来する放射能に効くヨウ素を一気に買占めしている人が大勢いて、薬局の在庫は既に品切れになっています。一方、中国ではヨウ素入りの塩を買う列でごった返し、喧嘩が始る始末らしく、フィリピンでは、白色の服は放射能の被爆から身を守る、とのデマが蔓延して白色の服の販売が良好とのこと。つまり、地震や津波の被害を直接には経験していない人たちが、テレビからブラウン管から流れ出す映像やコメントを見て、一方的に「放射能の心理的な被害者」となってしまっているのでしょうか。
さて、ニッポンでは、被災者たちが、毎日、黙って列に並び、特に、喧嘩も、暴動も、いざこざも起こらず、暖かい味噌汁とおにぎり一つを、炊き出しボランテイアの人からもらい、深くお辞儀をし、食べ物のありがたさに感謝しています。このありさまをシアトルでは、連立トップ記事で伝え、どうして日本では、生死をわける状態でも、略奪が起きないのかと、その驚きと、被災者の忍耐強さと、秩序の高いニッポン社会を賞賛しています。これは、2005年に起きたハリケーン・カトリーナの災害や、数年前のハイチ大地震が引き起こした、一時的な無秩序社会が生み出す略出、泥棒、詐欺、盗みが、日本には、ほとんどと発生していない事からです。そして、シアトルのメデイアは、その理由を、ニッポンは、品格、敬意、愛国心が支配する文化を持っているからだろうかと締めくくっています。
確かに、ニッポン人は小学生の時から、他人に心配をかけたり、迷惑をかけてはいけないと親からも、先生からも、よくいい聞かれているように思います。すると、その子供たちが大人になっても、他人から何かをしてもらって時には、「ありがとう」よりも、「すみませんでした。申し訳ありませんでした。」と先に言葉が出ます。今回の大災害時に、人々が、家、財産、仕事、家族等を失う中、これ以上、他人に迷惑をかけてはいけない。むしろ、皆と一緒に力を合わせて、困難を克服して、もとの生活を取り戻すことが先決だとの意識が強くなります。ですから、生死をともなう、災害下のもとにもかかわらず、大声で騒いだり、列に割り込んだり、人の物を盗んだりする行為が無いのでしょう。
最後にはなりましたが、現地シアトルより、犠牲者の冥福と被災地の復興をお祈りしています。いち早く、元の生活ができる日が来ますように。がんばれニッポン!
第37回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2011年5月号から転載
週間ポスト2010年11月5日号を読んでいると、以下の記事が目に付きました。(文面そのまま抜粋)
「今年のノーベル化学賞受賞が決まった根岸英一氏、鈴木章氏はともに若い時期に海外に飛び出して研究に励んだ。しかし、近年の若者は「内向き」志向が強い。若手社員の意欲低下は企業経営にも影響が甚大だ。海外に長期派遣される研究者の数がピーク時よりも半減している。海外の大学や研究機関に1か月以上滞在する研究者は昨年度で3739人。ピークだった2000年度の7674人から大きく減少している。白熱教室で話題のハーバード大学でも、昨年の留学生666人のうち日本人はたったの5人だった。韓国42人、中国36人、シンガポール22人、インド20人に比べると大きく水をあけられている。米国への留学生自体、昨年の日本は3万人足らずで、約10万人のインド・中国、約7万人の韓国の後塵を拝している。留学生の減少で、日本の大学の存在感も低下している。米国の大学院の博士号取得者の出身大学別ランキング(2008年)では、日本の大学は425位に東京大(23人)が入るだけ。1位の清華大(472人)をはじめ中国の大学がベスト10の3つを占めているのに対し、あまりに情けない。」
確かに、シアトルでも留学生は、日々、直面する言語・習慣の壁に勇敢に立ち向かい、挑み、戦うに必要な体力や性格の図太さ、忍耐力や学力を駆使しながら、何とか卒業すべき努力をしています。しかし、血が滲み出るような努力や苦労をしていても、学力、資金、体力、人間関係、その他もろもろの要因にて、留学を途中半ばであきらめて帰国せざるえない学生もいます。私はそんな光景や話を聞くと心が痛みます。留学生活を通して得ることは山ほどあります。例えば、厳しい勉強に対応すべき自己啓発力、忍耐力、根性、そして、超人的な体力がそれでしょう。しかし、現在の日本の若者の多くには、そこまで苦労して、海外へ留学する必要性がコレと言って見えてきません。ハッキリとした目標も持たずとも、親の経済力に頼れば、今の日本では飢え死にすることはありません。海外留学をする事のみが、その人にとっていいとは必ずしもベストな選択とは決め付けられませんが、自分の人生に真面目に向き合って挑戦していく態度はいつまでも持ち続けて欲しいものです。ふと、インターネットでヤフージャパンのニュースを検索してたら、今日で51歳のお誕生日を迎えられた皇太子さまも、若者の就職難に「心が痛みます」とした上で海外留学の減少などに触れ、「若い世代に『内向き志向』が強まっていることも心配です」「外から日本を眺めることも大切」などと語られていました。頑張れ、頑張れ、日本!
第36回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2011年3月号から転載
昨日、家の近くにあるライトエイドというスーパーに、薬を買いに行ったのですが、2セント(日本円で約2円程度)の持ち合わせが無かったもので、5ドル札を出してお釣りをもらおうとしました。そうすると、レジの女性が、自分の財布から、僕のために2セントを払ってくれました。勿論、お互いの面識は全くありません。また、レジの中には、僕の5ドル札をくずす程度の小銭はあるわけであり、わざわざ、彼女が、見ず知らずの僕に2セントをプレゼントする理由はないわけです。僕は、彼女の好意に、ちょっと嬉しくなりました。それはお金をもらった嬉しさよりも、暖かい人の心に触れた嬉しさだと思います。
時々、シアトルのコンビニとか、小物店のレジの傍に、小さいコーヒーカップ等が置いてあり、その中にお客さんが、小銭を入れて帰る習慣があります。このことは、アメリカ人が必ずしも、小銭を粗末に扱っているということではなく、小銭の持ち合わせがない人の為に、自分の小銭を寄付する意味があるわけです。
これは、お金や品物を持っている人が持っていない人に寄付するという、心のゆとり、寛容性、慈悲感の表れかもしれません。どうも、この考え方はキリスト教から由来しているのではないかと思います。ところで、寄付に関して、同じような例が他にもあります。例えば、クリスマスの時期に、食料品、衣服類、靴、本等を教会や公共の場所(スーパー、バスケットボールスタジアムなど)で、寄付している人をよく見かけます。また、高速道路の登り降り口で、大きなサインボードを掲げて、"Help!
Just lost my job. Broke and hungry."(失職したよ。金は無いし、腹は減る。助けてくれ!)と大きなマジック書きをして、寄付を集めているホームレスの人がいます。また、その人たちに、お金や、食べものを渡している善意のドライバーもよく見かけます。(どうも、聞くところによると、物乞いをしている人たちは、それだけで、何とか暮らしているみたいで、同じところで一年以上も、朝、昼、晩と立ち続ける人もいるとかやら。)
ところで、私は、コンビニのコーヒーカップにつり銭を入れたことはありますが、今のところ、サインボードを持っているホームレス?の人たちに寄付したことはありません。まあ、そのうちにはと考えてはいますが。
第35回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2011年1月号から転載
日本の教育団体が小中学生を持つ持つ保護者を対象に「学校教育に対する保護者の意識調査」をしました。その調査結果は、シアトルの保護者が持つ一般的な教育観と相反することがよく分かります。調査結果は以下の四点です。
? 得意教科を伸ばすよりも、基礎学力の定着や苦手教科の克服を良しする。? 教育の平等を求める。国が教育に直接関与する為に、日本全国どこへ行っても一様に同じレベルの教育を受けることができる。? 学校は道徳観や人への思いやりを教える場所であるべき。? 義務教育では、すべての子供に共通する内容を教えるのがよい。
まず、?に関しては、アメリカでは、得意科目(長所)があると、むしろ苦手科目(短所)を補強するよりも、得意科目をもっと学ばせ、苦手科目の短所を穴埋めさせるべき指導をします。子供は先生よりほめられることが嬉しいですから、もっと得意科目を頑張ろうとします。それにつられて苦手科目も勉強するようになります。
次は?に関してですが、アメリカの教育は国や連邦政府が管理するのではなく、州や市が管理します。ですから、お金が集まる州や市には、いい仕事が集まり、いい収入がゲットでき、いい生活環境が整い、いいい教育を受けることが出来ます。アメリカでは同じ州内でも、住む場所によって学校教育の質と量は著しく異なります。私達がシアトルで住居探しのポイントは学区選びでした。学区がよければ、治安もよく、教育レベルも高くなるからです。
さて、?に関してですが、アメリカは単一民族国家ではありません。ですから、人によって宗教観、政治観、価値観が相反しても不思議ではありません。社会科の先生はクラスにインド人とパキスタン人、ユダヤ人とドイツ人、台湾人と中国人が在籍していることを頭に入れて、歴史の授業を展開することになります。ましてや、市民の税金でまかなっている公立の学校が、価値観の違う児童や生徒の道徳教育に携わることは危険です。この領域はあくまでも家庭の役割となります。
最後に、?関してです。娘がコロラド州のデンバーの公立学校に通っていた時、算数と国語のクラスで飛び級を勧められたことがありました。これは、子供の学力に合った教育の区別化の一例です。結果的には、同年齢の友達から離れたくなかったので、飛び級の話はどこかに飛んで行ってしまいましたが。
第34回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2010年11月号から転載
シアトルの夏は瞬く間に過ぎ去り、子供たちの学校が始まる九月を迎えると、西の空を雨雲が覆いだし、適度な湿度と秋の冷気が、山岳地帯をやさしく覆い包みます。すると、土の中で夏の間ゆっくりと眠っていた胞子たちがいっせいに目を覚まし始め、シアトルの秋の風物詩であるマツタケ狩りが始まるのです。マツタケは市内の宇和島屋とか、Hマートで売っています。しかし、今年は、マツタケ狩りに行こう!と家族で決めました。
シアトルでは、「マツタケはダクラスファーの密集する、東側の斜面にある!」とは聞くものの、どこに行けば採れるのかと、その筋の人に聞くと、「レニア山脈の麓にある、何とか川の、山道を探してごらん。」とか、「何々湖の上を南に延びている道があるので、その道沿いにあるよ。」 とか言いますが、実際、その場所へは誰も連れて行ってくれません。そこで、私の二十年以来の飲み友達(自称マツタケ狩りの達人)を家に呼んで、熊焼酎と鮟鱇鍋でたぶらかし、ついにその場所とやらを具体的に地図に書かせることに成功しました。
そして、マツタケ狩りに行くことになりました。バックパックには、マツタケを採る、簡単なスコップと、スーパーでもらったビニール袋、そして、熊よけの鈴を用意し、子供たちを朝五時にたたき起こし、外が真っ暗な朝五時半に出発。約二時間のドライブで現場に到着。山は寒い。スキージャケットを着込み、毛糸の帽子で顔を覆い、迷子にならないように山を歩きだしました。下ばかり見て歩くので、はぐれないようにしないと、がけから落ちたり、木の切り株でずっこけたりします。少し歩くと、「お父さん、お父さん、これマツタケ?」と、50メール先を子供たちと歩いていた妻が、熊もビックリするほどの大声で聞きます。急いで、その場所へ走って行くと、そのキノコには、何を隠そう、子供のときに近所の八百屋さんの店頭で売っていたマツタケの香りがしました。「やった!」「やった!マツタケや!」一瞬のうちに、山は歓声で包まれました。
マツタケはその年の土の湿度や温度を含めた、さまざまな条件に影響される繊細なキノコで、採れる時期が限定されるだけでなく、例え、去年その場所で採れても、今年も同じ場所で採れるとは限りません。私たちにとって、山道を歩いていて、マツタケと出会う瞬間、何か、山の妖精がそっと残してくれた宝物を見つけ出したような気持ちになってしまします。ですから、マツタケとの出会いは感謝感激の連続です。とうことで、その日は、七つほど、大きなマツタケを自然界から頂戴して、待望のマツタケご飯を家族で美味しく頂きました。これで今年も秋が迎えられました。ありがとうございました。
第33回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2010年9月号から転載
アメリカ人は、平均して生涯に12回以上は引越しをする、とのデータがあります。(ちなみに、私はアメリカに来てから、既に12回以上引越しをしています。)私たちの自宅の向かいの家は、オーナーが自己破産した物件で、銀行管轄になっていましたが、その物件を競売でせり落とした建築業者が、必要な修繕や手直しを、さっと加えて、経費と利益を上乗せした価格で、家を売りに出しましたが、まだ売れていません。シアトルの景気は上昇気流に乗ってきてはいるのですが、まだまだ、金融機関から融資を受けられる人は、一握りの人たちだけなのです。
さて、隣の家に住んでいるブレントは、シアトルダウンタウンのヒルトンホテルで勤務する料理人です。先日、彼の家の前に「借家」の看板が上がりました。そこで、昨日、ブレントを家に呼んで話を聞くと、サンデイエゴのヒルトンホテルで、よりベターな仕事のオファーがあったので、二週間後には、カリフォルニアへ引越しをするとのことです。それで、家を一年リースで借りてくれる人を、月21万円で探しているとのことでした。
アメリカ人の多くは、家を持つことにあまり執着心はありません。あくまでも、家を持つ理由は以下の三点に集約されると思います。?借家をしていると、他人に家賃を払うことになるので、家をローンで買ってでも、自分に家賃を払いたい為。? 家を買うことによって、税金控除の恩恵を期待する為。?家を投資物件として買う為。私たちの場合も、特に今の家に、一生住むつもりもなく、子供たちの教育のために、よりよい学区を選択する目的で、今の家を買いました。ですから、子供達が大きくなり、自立して家を出て行けば、たぶん引越しをすると思います。
話は変わりますが、我が家では、最近、ベッド&ブレックファスト(B&B)を始めました。これは、アメリカ式のホームステイタイプの民宿で、シアトルへの旅人へ、寝室と朝ごはんを提供するものです。日本からの皆様もシアトルにお越しの際には、我が家へお越し下さい。地元の新聞に出した広告を抜粋します。
◆◆ 民宿(B&B)/ 短期滞在@ Bothell◆◆ ボセル・ミルクリークにある静かな住宅街にある、5ベッドルームの一軒家です。私たちは、夫婦と子供が二人の四人家族です。ゲスト専用のトイレとバスがあります。一人一泊50ドル?(朝食つき)、素泊まり、一週間、一ヶ月単位のショートステイも可能です。I-5と405へは車で10分程度です。団体でのご予約、ご相談も応じます。お気軽に何なりとご連絡下さい。ご連絡お待ちしています。連絡先:
bandbseattle@hotmail.com
第32回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2010年7月号から転載
先週、玉名の義理の姉の家族と一緒に、レニア山へ涼みに行ってきました。レニア山はシアトル南東にある、富士山よりも少し高い山です。頂上は夏でも雪をすっぽりとかぶっています。車で山の中腹にある休憩所を目指しました。休憩所にさしかかると、涼しい!というより、むしろ寒くなり出し、山の斜面一杯には、自然無垢で、健気な高山植物が綺麗に咲き乱れていました。美しかったです。
その日は、山の麓のロッジに泊まりました。近くにある、ちょっとしたアートギャラリに入ると、色あせた一枚の白黒写真が壁に飾ってありました。それは、日本人の鉄道労働者の一団が、泥まみれ、汗まみれの様相で、カメラのレンズを真摯な態度で、一様に見つめているものでした。ワシントンの鉄道は、1900年代に入ると、日本や中国からの出稼ぎ移民により敷かれました。この一枚の写真は1915年前後に撮られたものですから、今から約百年前のものでしょう。当時のシアトルはアジア人軽視、差別、迫害が、普段のことであり、勿論、公の場で日本語を話すことはタブーであり、服装、態度、食事の内容においても、欧米化が最重要事項であったと聞きます。
ところが、現代のシアトルでは、日本人同士であれば、誰に躊躇をすることもなく日本語をどこででも話すことができ、食事に関しては、お寿司から、鍋物、天ぷらまで、ありとあらゆる日本食が街に満ち溢れて、子供に関しては、僕、私は、日系アメリカ人だと胸を張って自己主張できる世界があります。私は、その一枚の写真を見て、誰に頼ることもなく、家族を、親戚を祖国に残して、単身で異国の土地にやってきた、日本人の鉄道労働者の底知れぬ、勇気と努力を感じました。また、彼らが勝ち得たシアトルでの富や米国社会での信用は偉大なものだとも思いました。
写真に写っている20代半ばの男たちは皆、一様に、真っ黒に日焼けをした大きな腕で、仕事道具を持ち、無表情な顔でカメラの前に佇んでいます。でも、ただ一人だけ、満面の笑顔で、レンズの真ん中をじっと凝視している男がいました。当時のカメラ技術ではカメラマンがシャッターを押してからも、暫くは同じポーズをしてないと、写真がうまく撮れません。そうすると、その男は、長い時間、瞬きもせずに、あの爽快な笑顔を浮かべていたことになります。
レニア山の麓で、フレームの中で、爽快に笑っている、その男の顔が、暑いシアトルの夏をより涼しく感じさせてくれた一日でした。
第31回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2010年5月号から転載
昨日、ポテトサラダと炊き込みご飯を持って、ポットラックパーテイに行ってきました。場所は、コンドメニアム(日本式のマンション)の三階にあり、ドアを開けると山のように人が群がっていました。各々が、ワイン、日本酒、ジュースを入れたプラスチックのコップを片手に持ち、もう一つの手には、好きな食べ物を載せたプレートを抱え、楽しそうな顔をして冗談を言っている人、難しそうな顔をして語りこんでいる人、幸せそうな顔をして美味しいものにパクついている人がいました。
ある日本人の男性が僕のところへやって来て、「お仕事は何ををされているのですか?」と話しかけてこられました。僕はこの人の職務質問に大変な不快感を感じました。職種、会社名、肩書きによって、人間としての評価や判断を下されること
第30回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2010年3月号から転載
最近、日本の新聞や雑誌を読んでいると、今流の日本語がよく目につきます。例えば、?パラサイト・シングル(parasite single) ?草食系男子(grass
eater) ?に関しては、これといった定職を持たずに、親と同居し、結婚をするわけでもなく、親の経済力に頼りながら、ストレス・フリーな生活している人と書いてあります。?に関しては、草を食べる動物とのイメージで、攻撃的より、防御と守り中心の生き方を好み、独立心はさほどなく、リスクを取らない人と表現されています。
シアトルに来る日本人留学生数は過去10年でほぼ50%程度減っています。一方、韓国は約50%、中国は100%、そして、インドは150%も上昇しています。この事は単に、日本の経済力の低迷だけでは説明できないのではないかと思います。現在の日本の社会状況として、少子化が進み、大学全入が可能になり、小学生の大半が英語の重要性を認識する一方、海外で、新しき学問、仕事、可能性に挑戦したいと思っている元気玉(risk
taker)が激減し、パラサイトシングルや草食系が増加しています。ちなみに、シアトルの日本人留学生は、男性より女性が多いのです。このことは肉食系の女子?が増えていることの現れでしょうか。
ある小説を読んでいたら、男のロマンを挑発し、洗脳するのは、「冒険心」と、その隣り合わせに潜在する「危機感」であると書いてありました。きっと、徳川幕府に開国を迫ったあのアメリカ艦隊(黒船)に乗り込んでアメリカに渡ろうとした二十一回猛士たる松田松陰しかり、明治維新の立役者である、西郷隆盛、坂本竜馬の心のどこかに、新しい時代を生み出すべき「冒険心」と「危機感」があったのだろうと思います。
挑戦しない社会には失敗はなく、よって反省も勉強もなく、飛躍もないわけでしょうから、その国の経済、社会、政治、教育、すべての分野は当然、停滞、低迷する一途をたどるしかないと思います。西郷や、坂本を動かしたのは、黒船が日本社会にもたらした、西洋文化と技術の脅威に対する危機感と畏怖であったとするならば、今、日本を停滞から飛躍させるべき、黒船の来襲を一世紀ぶりに期待したいものだと思います。
第29回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2010年1月号から転載
昨日、家の近くにあるライトエイドというスーパーに、薬を買いに行ったのですが、2セント(日本円で約2円程度)の持ち合わせが無かったもので、5ドル札を出してお釣りをもらおうとしました。そうすると、レジの女性が、自分の財布から、僕のために2セントを払ってくれました。勿論、お互いの面識は全くありません。また、レジの中には、僕の5ドル札をくずす程度の小銭はあるわけであり、わざわざ、彼女が、見ず知らずの僕に2セントをプレゼントする理由はないわけです。僕は、彼女の好意に、ちょっと嬉しくなりました。それはお金をもらった嬉しさよりも、暖かい人の心に触れた嬉しさだと思います。
時々、シアトルのコンビニとか、小物店のレジの傍に、小さいコーヒーカップ等が置いてあり、その中にお客さんが、小銭を入れて帰る習慣があります。このことは、アメリカ人が必ずしも、小銭を粗末に扱っているということではなく、小銭の持ち合わせがない人の為に、自分の小銭を寄付する意味があるわけです。
これは、お金や品物を持っている人が持っていない人に寄付するという、心のゆとり、寛容性、慈悲感の表れかもしれません。どうも、この考え方はキリスト教から由来しているのではないかと思います。ところで、寄付に関して、同じような例が他にもあります。例えば、クリスマスの時期に、食料品、衣服類、靴、本等を教会や公共の場所(スーパー、バスケットボールスタジアムなど)で、寄付している人をよく見かけます。また、高速道路の登り降り口で、大きなサインボードを掲げて、"Help!
Just lost my job. Broke and hungry."(失職したよ。金は無いし、腹は減る。助けてくれ!)と大きなマジック書きをして、寄付を集めているホームレスの人がいます。また、その人たちに、お金や、食べものを渡している善意のドライバーもよく見かけます。(どうも、聞くところによると、物乞いをしている人たちは、それだけで、何とか暮らしているみたいで、同じところで一年以上も、朝、昼、晩と立ち続ける人もいるとかやら。)
ところで、私は、コンビニのコーヒーカップにつり銭を入れたことはありますが、今のところ、サインボードを持っているホームレス?の人たちに寄付したことはありません。まあ、そのうちにはと考えてはいますが。
第28回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2009年11月号から転載
長女のエイミーに子供が生まれた。子供の名前はリア。女の子。その朝は普段どおりに始まった。5時に起床。ふと、毛布の際に転がっている、携帯電話に目をやると、テキストメッセージが入っている。ハワイに住むエイミーからだ。しかし、いつもとはちょっと違ったメッセージ。どこかの赤ちゃんの写真が貼ってある。 本人の出産予定日(due
date)には、まだ確か10日も早いことを、手帳を見て確認する。しかし、もしかしてとも思い、すぐ携帯でハワイに電話をかける。その時、私は今日からオジイチャンになってしまっていたと分かる。
思い返せば、私も子供の出産に数回携わって来ている。分娩室ではドクターの横で、アーヒー アーフーと妻と合唱をし、汗をかきかき出産の瞬間を待つ。赤ちゃんが、サルみたいなお顔をして、生まれ出ると、ドクターがサッーと私に はさみを渡し、へその緒を直ぐに切りなさいと、神のように命令する。おなかの中で母親と子供をつないでいた、あの神聖なる、生命線を、今、この場で切れ!とうるさく怒鳴る。そんなこと言われても、どの部分を、どうやって切ったらいいものか。経験したこともない若いお父さんには分かるすべもない。切ると、母子とも痛くないのだろうか。血がでるのかしら。大声で泣き叫ぶのだろうか。いろいろなことを考えながら、自分に課せられる、責任感が汗とともに、首筋から噴出する。子供が生まれる時って、誰だって、たいがいそんなものではなかろうか。
そして、あれから、ビデオテープを高速スピードで、先送りするように、時間が過ぎ去り、今、私の娘と義理の息子が、私の経験したことを繰り返し経験している。病院での出産の場合は、病院がCertificate
of live birth(誕生証明書)を発行してくれるので、それを最寄りの役所に届けると、赤ちゃんのbirth certificate(出生証明書)と
social security number(社会福祉番号)が、数週間後に家に郵送されてくることになっている。これがあれば(American
citizenship) アメリカの市民権を保有したことになる。つまり、アメリカは出産に関して、土地中心主義を取っているので、アメリカの大地で生まれる子供はすべてアメリカ人となる。これは大変分かりやすい。その後、日本の市民権を取りたい場合は、近くの領事館へ届け出を提出すればよろしい。このやり方で、我が家の子供たちは皆、日米の二重国籍を頂いた。
考えてみると、これで、私が一世、娘のエイミーが日系アメリカ二世、そして、孫のリアが日系アメリカ三世となり、気がつくと私もアメリカ在住がもう少しで30年となってきている。時は容赦なく早く過ぎ去って行くものである。
第27回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2009年9月号から転載
アメリカ人は老後の生活設計をいかに考えているのだろうか?勿論、雑多な文化が混じり合っているアメリカでは、個人の金銭感覚や貯蓄額には大きな格差があると思う。あるファイナンシャルアドバイザー(個人資産運用の相談を受け、資産の投資先のアドバイスや資産管理するプロとしての職業)によると、退職時に、複数のクレジットカードに多額の借金を抱え、どこかで、パートをしながら、年金生活をする人もいれば、豪華客船で世界一周の旅にでる夫婦もいるように、人それぞれ千差万別であると言う。
我々夫婦もそろそろ人生の折り返し点につく年齢になってきているので、最近、ファイナンシャルアドバイザーに、「豪華客船で旅するまでとは言わないが、せめて、おんぼろのキャンピングカーで、一年くらいアメリカを旅行できるくらいの資産を蓄えるにはどうしたらいいのか。」と話を切り出すと、以下のようなアドバイスを受けた。
? まずは、たんす預金(アメリカでは、たんすの引き出しに現金を隠すのではなく、ベッドの下に隠すことになっている)。これは金利ゼロなので、頭から却下された。「やめておけ!」とのこと。
? 第二に、銀行の定期預金(アメリカでは郵便貯蓄が存在しないので、銀行に定期預金を持つことが、ごく一般的)。三ヶ月程度無収入でも、一家四人が、生活できる程度を預ければいいとのこと。取り敢えず、私達は一年定期で利子率2.5%ものを、子供の名前で口座を開いた。こうすれば金利収入に税金を払わなくてもいい。また、そのうちに、アメリカの景気もよくなってくるだろうとの憶測より、取り敢えず、預ける期間は一年とした。一年後に、より良い利率での預け先を再検討すれば良し!
? 第三にIRA(Individual Retirement Account) 投資。これは、65歳まで預け金を引き出すことは出来ないが(引き出すと罰金がかかる)、毎月少しずつ決まった金額を投資信託会社に預ければ、年率金利が平均して8%程度累積することになる。(確約は無いが、過去のデーターとしては確実にそうなっている。)勿論、投資信託会社が顧客の投資を、多種多様な、株、不動産、債権、その他の再投資することになる。手数料はほぼかからない。これに投資することにする。
? 第四に生命保険投資。これは日本のシステムと殆ど同じと思うが、上記の?で説明したIRAと同様に、通常平均して8%で金利が累積することになる。これは有り難いので、これにも投資している。
? 年金。これは個人の収入により、雇い主が給料より天引きする金額が異なる。収入が高ければ高いほど、天引きをされる額も高くなるがが、65歳になってもらえる金額も上がる。でも実際、もらえるか、もらえないかは、分からないものを当てにして、老後設計を立てるわけにはいかない。アドバイザーからも「当てにするな!」と一喝された。
いずれにせよ、老後は、子供の世話になるわけにはいかない。(特に個人を優先するアメリカだからこそ)、そろそろ老後設計に取り組み始めたが、大丈夫かな?
第26回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2009年7月号から転載
ニッポン・トルネードがやって来た。そして瞬く間に去って行った。ニッポン・トルネードとは、JBA(Japan Basketball
Academy) http://www.jbadreams.com/ が米国のマイナーリーグと試合をする目的で、日本全国より選手募集し、選考し、シアトルに来る、日本選抜チームである。JBAの活動拠点は熊本を中心に広島、大阪、愛媛、茨城と幅広く、子供のジュニアリーグ等の活動等も活発だ。西田辰巳監督率いる12名の選手、アシスタントコーチ、トレーナー等を含めて、合計で15名前後の大所帯でのシアトル滞在となる。その受け入れは ザ!まなびば@シアトル。寄宿先はミヤモト家でのホームステイとなる。
我々は現在マンション暮らし。家を買わねば。買いたい家は、決まっているが、まだ買っていない。トルネードがシアトルに来るのは4月中旬。カレンダーと睨めっこしながら、売り手と、交渉の上、交渉を重ね、やっと家を買ったのは、チームがくる一日前。 直ぐに引っ越し開始。チームメンバー全員が引っ越しに全面協力。ありがたい。家族と私は大きな1部屋と家族用のバストイレをキープし、残りの4部屋と2つのバストイレをチームに解放。一階のリビング、キッチン、バーベキューをする裏庭等は、共有スペースとなる。という事で、家族20名の雑居生活がスタートした。
彼らは、20代中頃の青年達。彼らは一様によく食べる。よく練習する。よく昼寝をする。そしてよく遊ぶ。そして、ザ!まなびば の用意した短期英語文化研修も元気に終了する。2ヶ月間で18試合。その移動距離はアメリカを縦断するに匹敵する。彼らは、他のアメリカのチームより、より早くバスを早く回し、忍者のように素早く敵陣に攻め込み、スキあれば、三点シュートを打った。アメリカ人選手と比較すると、一段と背は低い。身体も小さい。だから、リバウンドは殆ど全くとれない。しかし、コートで日の丸を背負い戦う彼らの勇士はアメリカのどのチームよりも大きく見える。
日本のバスケットを世界基準に。日本の子供たちに夢を。希望を。バスケットを通しての国際交流をしたい。これがJBAの設立モットーだ。今後もザ!まんびば では彼らのシアトル研修を担った活動をしていく。来年はジュニアトーネルド(子ども達のチーム)も来ることだろう。日本のバスケットボールの底上げ活動をシアトルより応援したい。ザ!まなびば のホームページよりブログをクリックして下さい。写真が載っていますよ。index.html
第25回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2009年5月号から転載
ちょうど二年ほど前、持てるだけの荷物を詰めこんで、シアトルに引っ越してきた。そして、小学校の前のアパートに空き部屋を見つけ、そこを借りた。あれから、子供も少し大きくなり、家の中にもテレビとか、ソファーだとか、ダイニングテーブルなんかも陣取るようになり、知らぬまに、広かった部屋も狭くなってきた。そこで!「先週、家を買った。」一言で家を買った!と書けば一行で終わることだが、アメリカで家を買い、そこに住むまでのステップを簡単に紹介したいと思う。
まずは、不動産屋さんを探す。(不動産屋とは気があうことが大切。つきあいが長くなるかもしれない。私達の場合は、家を探し出してから購入するまで6ヶ月かかった。)?自分の探している値段帯と地域を決める。(アメリカの場合、住むところにより、子供の教育水準、周りの治安等が千差万別なのだ。)?ローンを組む場合は銀行のクレジットチエックがある。永住権か市民権がないとローンは組めないが、日本からの不動産投資は可能とのこと。)?物件を見つける。?オファーを入れる。(通常は、物件は競売することになるので、売り手、買い手の熾烈な交渉が始まる。この時に不動産屋に張り切ってもらう。)?交渉が成立する。(この時点でローンの利子率を決める。ローンオフィサーのアドバイスが必要。15年とか、30年ローンで固定もしくは変動の利子率がある。)
今、私達の住み慣れたアパートには、隣のスーパーから、タダでもらってくる箱、箱、箱で山積み状態。足の踏み場も無い。今日は、トラックを借りる手配をした。2トン車程度の引っ越し用のトラックを、一日1万円くらいで借りられる。今週金曜日の引っ越しは知り合いの若い衆10人が活躍してくれる。体力の勝負!妻も忙しく、電気、水道、ガス、ゴミ、NHK海外放送が入るケーブル会社との契約や、冷蔵庫、乾燥機、洗濯機とかの購入で走り回っている。次の生活が始まる。やっと始まる。とうとう始まる。楽しみだ。
第24回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2009年3月号から転載
サーモンの稚魚は、そこらの川の隅でひっそりと生まれ、親の顔を見ずに育つ、そして、海で美味しい栄養満点のぷりぷりしたエビや、肉のひきしまった小魚を食べて、一人前になると、また生まれた川に戻ってくる。太平洋の大海原から、シアトル沿岸の川までの旅路は悪天苦闘である。途中で岩陰から出てくる動物に食べられてしまう者、インデアンの張る大きな網に、頭やしっぽを引っかけられて、魚屋さんの店頭行きになる者、おなかを減らした人間の釣り針にかかり、お昼のバーベキューにされる者と、千差万別である。しかし、一握りの幸運な強者は、自分が生まれた水のにおいを注意深くかぎわけて、なんとかそこへたどり着き、そして、その神聖なる場所で、一生に一度の結婚と産卵を通して、生を立派に全うすることができる。このことをサーモンの回帰本能だと、どこかの本に書いてあった。
私は人間にもサーモンのような回帰本能もあると思っている。それは、若いときには都会や海外で仕事に精を出して励む者が、そろそろ中年の声がさしかかってくると、生まれ故郷に戻り、家業を継いだり、新しく事業を興したりして、第二の人生を歩み出す者がその一例であろう。日本語の「故郷」を辞書で調べると、よく"home
town"と訳されている。しかし、英語の単語にある"home town" には必ずしも、日本人の意味する「故郷」ではならない。それは、生まれた場所が必ずしもその人の「心の故郷」とは限らないからだ。だから、大阪や東京へ仕事に行って帰ってこない人、タイやインドで打ち込むことを見つけて一生をそこで暮らす人、アメリカに行って今も住んでいる私たち。そのような人は「心の故郷」を生まれた場所以外で見つけられた人なのだろう。
もしも、すべてのサーモンが岩陰の動物の手や、インデアンの網、人間の釣り針にかからず、生まれたところへ仲良く手をつないで戻ってきたら、世界の海や川は、遠くの昔にサーモンだらけになっていたのではなかろうか。しかし自然のバランスは極めてうまくできているもので、鯛も、鰺も、鯖も、マグロも、ハマチも、鯉も、鱒も、ドジョウも、皆それぞれ守備範囲を逸脱せずに共存している。また、同様にすべての若者がある日、皆顔を揃えて故郷に戻ってきたら、このグローパルの世の中。日本や世界の経済や人口のバランスが揺らぎ始めるのではなかろうか。
第23回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2008年12月号から転載
サーモンフッシュングに行った。魚釣りをするには、まずは、州が発行するFishing license (魚を釣る許可書)が必要になる。これは、一年用と一日用があり、州外居住者と州内居住者により値段が違う。僕はワシントンの州民であるので、Washington
driver's license(ワシントン州発行の、車の免許書)を提出し、一日用を買うことにする。9ドル50セント(千円程度)だ。釣れても、釣れなくても、これが無いと釣りをしてはダメなことになっている。たまに、漁業組合のおじさんが、藪の中から、飛び出して来て、許可書の提示を求めることがあり、もしも、許可書無しで釣り糸を垂れていると、自然保護の話から、生物虐待の話まで、一通りの話を聞かせられ、最後には、数百ドルの罰金を裁判所で払う、赤字切符を切られることになる。
ところで、このライセンス料は、サーモンの卵のふ化、稚魚の餌代、漁業組合への手当、とかに使われるらしい。また、サーモンフィシングは、釣る場所と時期によって、釣ってもいい、サーモンの種類、数、大きさに制限がある。それを守らないと、またまた、高い罰金を払うことになる。何でも、かんでも、釣れるだけ、釣っていては、いつかは世の中からサーモンが滅没する。だから、釣りにもルールが存在し、決められたルールで、Ladies
やGentlemenがするスポーツこそが、釣りということになっている。
いつかの日に、僕の子供たちや、またその子どもたちが、ここにやって来て釣り糸をたれる日があるかもしれないと考えると、一日ライセンスの9ドル50セントは、とてつもなく安いお金に感じられる。だから、一匹釣れたら、二匹目以降は逃がす、
catch and release をやってのける。そうすると、あのとき逃がした あのメスのサーモンは今、どうしているのかな?とか、あいつは、いまごろは、どこかで、自分の卵を生んで、その子どもたちがまた、この川へ上ってきているのかな?とか、思いにふけりながら、よく、冷えたワシントン産の白ワインを、夕方から飲めることになる。これがまたうまい。(続)
第22回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2008年10月号から転載
どうしたら英会話が上達するのか?とある熱心な読者の方からのお問い合わせがあったので、私の場合としての一例を紹介したく思う。
私はNHKのラジオ英会話講座で英会話の基礎を学んだ人間である。夕方、小銭を持ってぶらっと本屋へ行き、今月号の英会話の雑誌を買い、家で翌日の朝に放送されるレッスンをひたすら丸暗記するだけ。丸暗記の仕方は、右のページの日本語訳を見て、左のぺージの、英語が覚えられるまで言う。しつこく、あきらめずに、お経を唱えるがごとくリピートし続ける。50回でも100回でも繰り返して言う。心を込めて言う。座りながら一人、部屋でこんなことをしていると、たまに眠たくなることもあるので、そういう時は立ってみたり、歩いてみたり、時にはジェスチャーをつけてみたりする。そうすると、そのうちに空で言えるようになってしまう。これで翌日の仕込み完了!
翌朝は朝早くからラジオの前でワクワク・ドキドキと放送時間を待ち、放送に出てくるアメリカ人の声をむしゃぶりつくように、じっくり、静かに、耳をダンボのように大きくして聞く。放送内容は前日に暗記したものがそのまま出てくるのだから、何を言っているのかほぼ理解できる。念の為に放送されたものをテープに残し、後で一つ一つの英語表現をこれでもか、これでもかと、耳に余韻が残るまで、テープをプレイ、巻き戻し、プレイ、巻き戻しと、納得いくまで繰り返し聞く。これで表現のインプットは完了!
次に京都の町を歩き回り(私は京都で生まれ育った)、外国人を見つけては、羞じも外聞も気にせずに、覚え立ての表現をひたすら人間相手に使う。これでアウトプットも完了!この時に一つ一つ必死に覚えた英語が実際に通じた喜びはメチャメチャ嬉しかったことを、今でも昨日のことのように覚えている。まずは試してみて下され。
第21回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2008年8月号から転載
国境線(Border)を越えても景色は変わらない。壮大な針葉樹林の樹海の中央に突き刺さるかのような一路の道があるのみ。但し、この道の道幅だけは確実に狭くなっている。細く狭い道路の運転が嫌いな私は、ワイフにハンドルを譲った。(実は、私は広い道のアメリカでしか車を運転したことがなく、一年半前に玉名で生活した時は、もっぱら彼女が専属ドライバー。だから、夫婦げんかをした時にはどこへも行けなかった。
ヤオハン(八百伴)に行った。ヤオハンは今から50数年前には、熱海の名もない、一軒の八百屋であった。その後、和田一夫氏が香港に本社を移転したが、どうもその後、経営が行き詰まったと聞く。スーパーの中に入ると、中国語と中国人が、どこからともなく飛び出してくる。レジのおばちゃん、レストランのウエトレス、警備のおじさん、化粧品のサンプル配りの、可愛いおねえさん。野菜売り場、魚売り場、おかず売り場、パン屋さん、エレベーター、トイレ、レストラン街、どこを歩いても、どこへ行っても、中国人で湧き溢れている。ここは台北でも香港でも無い。唖然とした。今までに、白人文化圏で、こんな大勢の中国人を一挙に見たことはない。凄い。凄まじい。その一言。
バンクーバーに住んで人の話によると、ここでは英語とチャイニーズが話せるのが理想だとのこと。さすがバンクーバー。香港返還前に大勢の広東人が親戚を頼って民族大移動して土地である。中国人が移動するとことには、四千年の中国の食文化もアベックで移動する。「アジア文化は食文化なり!」今回は、バンクーバー湾沿いの中華料理の老舗で飲茶を楽しんできた。今度は中華街をじっくりと散策して色々な店を開拓して見たいと思う。
第20回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2008年6月号から転載
バンクーバーは食べものが美味しい!バンクーバーは、私達の住むシアトルから北へ2時間ほど車を走らせるとカナダとの国境があり、その国境線(international
borderline)の反対側にある国際都市である。私達は、朝早くベッドから飛び起き、いつもの海苔巻きおにぎりと卵焼きを、超特急列車のごとくリュックに詰め込み、眠い目をこすりこすり、コーヒーを片手にスリーピングバッグを抱えて車に乗り込む。運転手は私。家の近くを通っているインターステイトの5番(州と州とを結ぶ幹線高速道)に乗ると、ひたすら国境線に向かって真っ直ぐに北上する。北の盆地地帯を疾風のごとく通り抜けると、時速70マイル(約110キロ前後)が制限速度なのにも関わらず、実際は80マイル(約120キロ以上)のスピードで、皆が暴走族に豹変する。知らない間に車のスピード感覚が麻痺してしまうので、よほど注意していないとSpeeding
ticket(スピード違反の切符)をもらいかねない。
国境線では、車が1台ごとに検問を受けることになる。May I see your Passport?(パスポートを拝見してよろしいですか?)
How many of you? (何人ですか?)Where are you headed to?(どこまで行くのですか?)How
long will you be in Canada?(何日位の滞在ですか?)What is the purpose of
your visit?(何をしに来たの?)と聞かれる。そして、ものの1分程度でパスポートチェックも終わり、いとも簡単にカナダへ入国することになる。ちなみにこの検問所では、入出国ともにパスポートは見せるだけで、スタンプは押されなかった。
(続く…)
第19回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2008年4月号から転載
「アメリカで働いてみたい!」との相談がよく舞い込むので、ご返答したい。第一にアメリカで働ける身分が保障される労働許可書(労働ビザ)か、アメリカで好きなだけ生活出来る、米国永住権の保有が必要になる。第二に、どのような仕事をしたいのかが重要!そして第三に仕事をゲットし、且つ、キープするための専門技術、経験そして英語力が不可欠になる。今月号では、第一点目のビザの話に焦点を絞り説明していきたい。
前述の通り、アメリカ国内で合法的に働けるビザを大まかに分けると、労働ビザと永住権ビザがあり、労働ビザをゲットするには、仕事先が本人のビザ申請のスポンサー(協力者)になってくれることが、始めの一歩となる。また、例え仕事先がスポンサーになってくれても、米国移民局がOKしないと、ビザがゲット出来ない。実際、移民法専門の弁護士に20万前後のお金を支払ったがビザが取れず、泣く泣く帰国した者が知り合いに数名いる。労働ビザのゲットは、仕事をするのに充分な学歴、職務経験、職務遂行能力があること等を、証明出来ないとダメ。
一方、永住権を取るには四つの方法がある。その?アメリカ市民と結婚する方法。その?永住権保有者と結婚する方法。その?申請者の特殊技術や能力を証明する方法。その?抽選でとる方法。?と?が一番簡単な方法だが、それ故に偽装結婚業者が暗黒の世界に蔓延しているとのことも耳にする。実際、永住権取得の最終段階であるアメリカ大使館での面接では、夫婦別々に面接され、「ご主人は普段、朝食に何を食べますか?」「ご夫婦の寝室のカーテンの色は?」等の質問があるとも聞く。?に関しては、その特殊技術がアメリカ人で埋め合わせ出来ないことを証明しなければならない。例えば特殊技術を持った日本食の職人、スポーツ選手等がこの分類に当てはまる。?の方法で永住権をゲットした人は、私の知り合いで二人いる。ともにラッキーな人だと思う。
第18回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2008年2月号から転載
読者の皆さん あけましておめでとうございます。私たち宮本ファミリーは今年も楽しく充実した日々をシアトルで送っています。本年も宜しくお願い申し上げます。今月号では子供(大輝)の話す日本語について書きます。
シアトルに来てもうすぐ一年になろうとしている。玲奈も大輝もすっかりこちらの生活にも慣れ親しんでくれているのは良いのだが、ちょっと大輝の日本語が変になってきているのが心配だ。その一例としての会話を挙げてみた。
パパ: 「大輝!今日、学校は、どうだった?」
大輝: 「今日、先生、あげない、大輝、宿題。」 「今、行く、ダメ、車、走るところ。危ない。大輝、知っているもん。」 「そしてから、大輝、遊ぶ、縄飛び、外。」 「そしてから、暗くなったら食べる、ご飯。」 「そしてから、好き、熱い水、いい?」
これでは何が言いたいのかさっぱり分からない。通訳すると、「今日、先生は大輝に宿題をくれなかった(くださらなかった)。今、道路で遊ぶのは危ないでしょ。だから、外で縄飛びをして遊んで、その後で、晩ご飯を食べて、お風呂に入ってもいい?」と言いたいのである。
大輝使用のジャパニーズは以下の四点の特徴があるが分かった。その? 彼の日本語には助詞(で、に、を、は、が、………等)がほとんど使われない。その?
あげる、くれる等、相手との上下関係により使い分けすべき動詞を完璧に無視している。ちなみに英語では大統領にクッキーを差し上げても、ドラ猫に、晩ご飯の残りものをやってもgiveを使う。その? 日本語の単語量が決定的に少ない。車が走る所。(道路) 暗くなったら食べるもの。(晩ご飯)、熱い水に入る。(お風呂に入る)等。その? 日本語の単語の羅列が、そのまま英語になっている。例えば 「今日、先生、あげない、大輝、宿題。」は Today,
teacher did not give Taiki a homework. となるし、「そしてから、大輝、遊ぶ、縄飛び、外。」はThen,
Taiki plays jump rope outside.となる。つまり彼は英語の文章体系<主語(誰が、誰は)、動詞 (物の動きや動作)目的語(どうした)>で日本語を話しており、日本語の文章体系<主語、目的語、動詞>を無視している。
大丈夫?これってあり!本人は、親の心配などまったく気にすることもなく、今日も楽しくアメリカの幼稚園に通い、毎土曜日には全日制のシアトル日本語補習学校でお世話になっている。そして今年の夏には玉名町小学校へ体験入学する予定。どうなることやら。
第17回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年12月号から転載
シアトルに来て半年が過ぎた。早い!ワシントン湖の紅葉は真っ最中だ。日曜日の早朝に霧で覆われた湖畔を散歩してみる。歩道一面を色鮮やかな落ち葉がカーペットを敷き詰めたみたいに覆い隠す。その上をサッササッサと歩く。ちょっと贅沢な気分になる。私以外にも歩いている人がいる。どちらともなく、"
What's up?" ? とか" How are you doing?" ? と気さくに声をかける。それもニコニコ顔で。お互いに "
Beautiful morning!" だとか "I am getting hungry for breakfast."
だとか、気分次第の会話をする。ただそれだけの話。何を話すとか、何のために話すとかではない。知らない人が知らない人に、ごく自然に挨拶をする。それが礼儀。いつもだいたいこんな感じで日曜日の朝がスタートする。私はそんなシアトルの朝が好きだ。
ところで、以前にも書いたと記憶するが、?や?の様な挨拶の表現は、必ずしも相手の体調を聞いていない事が多い。ちょっとした会話を始める起爆剤として使われている事がしばしばだ。だから、返答の仕方には多種多様あっても良いわけだ。つまりたいていの場合は何を言っても良いわけ、また何か言わないといけないわけ。我々日本人は「何を言ってもいい!」と言われると、これまた難儀である。
ある日、高校生くらいの少年をつかまえて、いつもの様に得意の表現?で挨拶を交わしたら、" I am just chilling."と返された。"What
do you mean by chilling?" と言うと、彼はいぶかしげな顔をして、両肩をすぼめた。この事をコロラド州にいる娘のエイミーに電話で話したら、娘曰く、「パパ、それは最近のスラングで "
I am just hanging around." <ただ目的もなくぶらぶらしているだけ。>というような感じの意味なのよ!と教えられた。スラングとは厄介だ。生活をするには不可欠ではあるが、あくまでも市民権を持っていない言い回である。私は今年でアメリカ在住25年くらいになるが、今も毎日、英語を学んでいる。たぶんこれからも変わりなくそうするつもりだ。
第16回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年10月号から転載
シアトルはスターバックス(Starbucks Coffee)の発祥地!どこに行ってもある。びっくりするほどある。スタバはもともと街角にある一軒のコーヒー屋だったらしい。またトレードマークの人魚は湖岸都市シアトルを表す。
散歩の途中、近所のスタバに寄った。コーヒーの香りで店が満ち溢れ、蛇の様な長い行列があった。I want your regular
coffee please. <普通のコーヒーが欲しいのですが。>と言うと、(You) want cream and sugar?<ミルクとお砂糖は要りますか?>
と聞いてきた。この場合、主語のYou は、ほとんど発音しないか全く発音しない。また疑問文ではあるがDoは使わない。分かり切っているからだ。ブラックで飲みたかったので、I
want (to take ) it straight! <そのままでお願いします。>と言った。注:I want to (take
it) blackでもいい。ちなみにカッコの中のtake itは省略してもいい。Iもはっきりとは発音されないか省略する事もある。すると店員は呆れた笑みを顔に浮かべた。よく考えてみると、I
want (to take) it straightは飲み屋でウイスキー等をストレートで飲むときに使う表現。どうも、朝からコーヒー屋で、飲み屋で言うような事を言ってしまったようだ。納得!
さて。英語では、コーヒーに入れるミルクの事をcream と言う。milkとは言わない。milkと言うと牛乳の事になる。ところで、日本でお馴染みのクリープはcreepの発音に近くなり、怖いものを見たときに肌がぞくぞくする、寒気がすると言う意味の動詞になってしまう。実は恥ずかしい事に、初めてアメリカに来た時、間違ってPlease
give me creepと言っていた。
ちなみにスタバのコーヒーカップのサイズは小さい順に、tall, medium, largeの三種類があり、一番小さいサイズはsmall
とは言わずに、tall と言うことになっている。
店を出るときに、Next time, you can use our drive through if you want!<もしよければ、次回は、ドライブスルーをお使いになる事もできますよ。> スタバにドライブスルー。いかにもアメリカらしい。現地シアトルのスタバの写真を電子メール添付で送ります。ご希望される方はthemanabiba@yahoo.co.jpまでご連絡を。
第15回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年8月号から転載
もう八月だというのに、我が家では扇風機も使っていない。米国西海岸ワシントン州シアトルの緯度は北海道の北に浮かぶ樺太島の南端辺りに位置している。だから、夏に熱帯夜は無い。しかも、冬は何故かしら凍えることは無い。但し、秋から冬の終わりにかけての天気は悪い。晴れているのも、つかの間、すぐに太陽が雲で覆われ、小雨がパラつきだす。それにも関わらず、シアトルの人は外出時に傘を持たない。雨が一日中ズーット降っている事は無い事を知っているからだ。夏はすこぶるよく晴れる。年間の降雨量は東京の半分くらい。以外に乾燥している。洗濯物が乾いてありがたいデス。玉名との時差は通常17時間 (夏はマイナス16時間)。計算式は極めて簡単。日本時間から17を引けばいいだけ。在シアトル日本国総領事館の統計(2005年版)によると、約一万二千人の日本人がワシントン州に住む。その内訳として、企業関係者約二千、学生約四千、永住者約六千。そして、日本企業の数は約170社との事。空港の電車アナウンスは日本語でもしている。
ダウンタウンには超近代的高層ビルが、雨が降った後のキノコの様に、勢いよく、にょきにょき、そびえ立つ。ビルの西側に隣接する海では40ポンド級の巨大キングサーモンが釣れる。ちょっとドライブして東側の山岳地帯を越えると、ワインで世界的に有名なヤキマ地域がある。ここでは、ワインの試飲を一日中楽しめる。北側に約2時間ドライブすると、カナダとの国境をアットいう間に通過し、国際観光都市の一つであるバンクバーがある。ここでは、食通のグルメを楽しませるカナダの寿司屋や魚貝料理専門レストランがズラット軒を揃える。そしてさらに、南に行けばアメリカ屈指の温泉地域が点在し、心身共にリラックスできる環境もある。
Seattle! どうも私達はこの土地が好きになりそうだ!
第14回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年6月号から転載 (今号より偶数月のみの掲載になります)
Destination Seattle! 私は玲奈と大輝の手を引きながら、成田発のノースウエスト航空シアトル便に乗り込んだ。機内では、邦字新聞と英字新聞に目を通し、映画を一本鑑賞し、白ワインを注文し、釣りの本をウトウトと読みながら、野菜と魚を食べた。
食べながら、「ザ!まなびば 英語専門塾」で知り合った塾生やその家族、玉名でお世話になった人達、飲み友達の悪友諸氏とその奥さん達、との思いでをあれやこれやと回想した。懐かしい。ふと気がつくと太平洋を越えていた。今回の引っ越しは、身軽な移動をモットーに、家族四人が新しく生活を始めるに必要な所帯道具のみを、
8個のスーツケースに詰め込んだ。重い。飛行機がゆっくりと降下し始める。真っ赤な朝焼けが見えてくる。爽快感と焦燥感の自己同一。希望と不安の相互共存。
私達より一足先(一ヶ月前)にシアトルに行ったワイフの桂子の事が思い出される。新天地シアトル!右も左もわからぬ世界。住む地域を何処にするのか?子供の学校の選択は?食べ物の問題(味噌や醤油や米が車で遠くまで行かなくても安価で手に入るのか?) 等々、いろいろと考えることはある。まずは情報が大切、本や雑誌やインターネットからの情報だけでは不安が残る。生の情報が知りたい。ですから、情報先取り先発隊長としてワイフが名乗り出たわけです。さて、ワイフとも無事、空港で合流して、今後、私たち宮本ファミリーの新しい生活が始まります。玉名人の目から見た米国西海岸シアトルをそのまま書きます。ご笑読下さい。
第13回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年4月号から転載
ジェーン・フォンダが出演するGolden Pond (黄昏)をビデオ屋さんから借りて見た。ある老夫婦が静かな湖畔の別荘に移り住み生活を始めるのだが、おじいさんに認知症が出る。そこに長女夫婦が家族で遊びにやって来る。このビデオは子供達の家族から見た老夫婦(お父さんお母さん)の老いの美しさや悲しさを暖かく描き出している。きっと誰にでも老いはゆっくりと急がずに忍び寄るものなんだろう。
あるデーターによると、アメリカ人の老夫婦の多くは子供達の近くに住むことはあっても、一緒に住むことは好まない。また、子供達も、親の近くに住むことはあっても、一緒に住むことは好まない。確かに、私が知っている、ある老夫婦の子供達はアメリカ全土に散らばって生活している為、クリスマスや感謝祭の休暇には、よく老夫婦の家に集まってくる。たまには、老夫婦がアメリカ大陸を車で横断して子供達と一緒にバケーションをとることもある。二人が健康であるかぎり。
アメリカには公的健康保険システムが無い。アメリカ人は会社を通して民間健康保険に入る事ができるが、一旦、仕事を辞めると、個人で保険に入る事になる。但し、その時点で、持病があれば、なかなか保険会社も好条件で契約に応じてはくれない。そうすると、仕方なく保険に入れない人も出てくる。以前に、長女のエイミーがコロラド州の歯医者さんで、二本ほど、歯にクラウンをしたら、たまたま保険が切れていた為、約10万円の支払いを命じられた。ビックリした。もっとも、保険が無くても、病院で門前払いになることは無いが、退院後、地獄の借金取りの電話と催促の手紙の追い討ちにあうことになるので、やむを得ず、夫婦が一時的に離婚したり、自己破産をするケースもある。そう考えれば、日本の公的健康保険制度は親切かつ人道的である。私の年齢だと三割の自己負担で、長男の年齢だと自己負担金ゼロである。アメリカ人の目から見ると、これは本当に有り難い事です!
第12回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年3月号から転載
アメリカに永住権を持ち、アメリカで仕事をしている日本人として、いつかはアメリカで年金をもらう日がくるのだろう!アメリカには社会保障番号(ソーシャルセキュリティ・ナンバー)がある。この公的身分証明書は、日本で例えれば、国民健康保険書や車の免許書に相当する社会的認知度があり、アメリカ政府より、米国市民や米国内で合法的に働く外国人(私や家内)に与えられているアイディ番号である。各自の収入や扶養義務者の有無・人数等に応じて、雇用主が一定の金額を給料から天引きし、ソーシャルセキュリティ(公的年金基金)として合衆国政府へ、お金をプールする。それを65歳そこそこの年になったら、公的年金として国民に分配することになる。私の場合、決して高収入ではないので、日本円で10万程度年金額になろうから、他に収入源がないと、いつまで経ってもリタイアーできなくなる。これは大きな問題だ。
そこで、米国の厚生年金に頼ることになる。雇用主が、従業員の給料に応じて、給料とは別に、従業員の厚生年金口座に積み立てしてくれる。従業員はその資金を多種雑多な国内、国外の株、国債、不動産株、為替、その他に、自己の判断と責任のもとで投資し、自己の資産を増やしていく。また、雇い主も投資を奨励し、会社内で「自己資金を賢く投資するセミナー」の等を開くこともある。これは大変親切な積み立て口座であり、人にもよるが、普通は年間で平均して10%前後の利子率は見込めるので、タンス預金するよりもはるかに効率がよろしい。まさしく、お金がお金を生み出す仕組みになっている。特にIRA口座(退職積み立て口座)などに投資すれば、利子より発生すべき所得税は免除されてしまう。(但し途中で解約する場合は別。)自分のお金は自分で管理する。これがアメリカ的資産管理法だ。それもノートパソコンを使って、いつでもどこでも簡単に。
読者の皆様へ
アメリカ西海岸のシアトルに行きます。三月中旬に。一年半お世話になりました。アーっという間に時が流れ、子供達には流暢な玉名弁が身につき、ワイフは右ハンドルになれ、私も道に迷うことなく一人で散歩ができるようになりました。玉名近郊で知り合った人々に感謝してます。本当にありがとうございました。
シアトルでは国際交流関係の仕事や教職に戻ります。アメリカへの留学アドバイス、短期ホームステイプログラムや語学研修の企画、アメリカ人の日本への文化研修、大学や高校での教鞭活動等を再開する予定です。ということで、今後はシアトルよりレポートする事になります。楽しみにしておいてください。これからも宜しくお願い致します。
ケイコ & ヒロシ みやもと
第11回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年2月号から転載
コネチカット州Waterburyのくたびれたカフェーで、アメリカ人の老夫婦とコーヒーを飲んだ事がある。長年の歳月をかけて、ゆっくり確実に熟成したブドウ酒の様な、アローマを漂わせたカップルだった。お店に入ると、おじいさんはすぐさま "Let
me introduce my better half..."「ベターハーフを紹介しょう。」と会話を切り出した。
ベターハーフって何のことやろうか?これは<後で聞いてわかった事だが> 夫婦が人生を歩むのに、自分の力だけでは当然無理だ。奥さんの力だけでも不安だ。二人で力を合わせ、ああや、こうやと、言いながら、やっとこさ歩ける。だから、自分の配偶者(パートナー)が、自分には無い能力やセンスを持っている人であれば、ありがたい。つまり、夫婦共同体で、良い方の半分を指す言葉として「ベターハーフ」が使われる。
日本文化には自分の奥さんを他人に紹介する際に、うちの「悪妻」とか、「愚妻」とか、言いながら、自己の存在を過小評価し、相手を謙譲する道徳的美意識が存在する。この表現をアメリカ人が言葉通りに理解してしまったらなら、「自分の奥さんは、恐ろしく愚かで、最悪であり、その人と結婚してしている本人はもとより、その子供達は、さらに愚かで最悪な人生を歩まざる得ない。」となろう。<もっとも、この事は本人が日本的慣習から、ただそう言っているだけなのか、本当に心からそう思って言っているのかは別にしても>
私はよく「自分の家内は、とっても頭がよく、たいへん仕事ができ、スタイルが抜群で、家事も大好きであり、私にとって、良き妻であり、賢い母であり、そして人生のいい相談相手でもある。」とアメリカ人の友達に吹聴する。そうすると、誰となく、私のトークに刺激を受けた輩達が、各々自分の奥さんの自慢話を、あれこれ、まくし立て始める。これは大変結構な事だ。まさに愉快で楽しい。酒もすすむ。日本のお父さん!一度でも、自分の奥さんを公共の場で誉めてみては?ビックリするほど不思議な気分になりますよ。
第10回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2007年1月号から転載
昨日、子供達とマクドナルドへ行って100円メニューを注文した。娘と息子はチキンやらチーズバーガーやらを、ムシャムシャぱくぱくと美味しそうに食べた。私はその姿を横目で眺めながら、いい事をした善人の気持ちに酔いしれた。子供達とデンバーに住んでいた時はもっとハンバーガーを食べていた。それはちょうど、日本で例えると、駅のフォームにある立ち食いうどんを食べるのにとても近い感覚で。
「味覚というものは幼少期に形成される。」と、いつかどこかの本で読んだ記憶があるものだから、妻と私は玉名にいる間は、少しでも子供達に日本食を食べさせてやりたいと考えている。それは子供達が大きくなっても、精進料理の薄味に食指を向ける味覚を持って欲しいからだ。
マクドナルドのメニューをよく見ると、パン、芋、肉が中心である。私は、この三食材こそがアメリカ人の胃袋を満たす代物だと思う。このことは日本人の食文化が古来より野菜、米、魚が中心であったのと比較すると対照的である。この食文化の違いが日米間の価値判断や道徳観の相違を生み出している源泉ではなかろうか? 「食こそ、文化なり!」
アメリカには何にでもケチャプやマヨネーズをつけて食べる人が沢山いる。実は私も以前はそうして食べていたが、もうやめた。何を食べても同じような味になるからだ。一旦、このケッチャプ・マヨネーズ症候群にとり付かれると、妻のつくる家庭料理もデパ地下の惣菜も同じ味になり、胃袋を満たす事のみが食の唯一の目的となる。ちょうどそれは車を走らせる為にガソリンを入れ続けないと車が止まるかのように。これって、ちょっと、ビミョウー!?
第9回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年12月号から転載
「農林省のプロジェクトで、アメリカに農業研修生を派遣する。ついては合同合宿を大分県の湯布院で実施するので、英語・英会話を一週間ばかり担当して欲しい。」とのメールが研修担当の所長から来た。私としては、仕事が終われば、夕方からゆっくりと温泉に浸かり、どこに行くとも無く町をぶらぶらとし、どこかの居酒屋で地元の料理と酒に一喜一憂し、隣に座っている誰か知らない人と、たわいも無い会話を楽しめるものだ、と信じ込み、一つ返事で了承したのだったが。
研修内容は朝5時半(まだ真っ黒な空には星がぶら下っている)、柔軟体操、2キロのランニング、掃除、単語テストに始まり、朝飯後、正午までの英語学習(基本会話文の暗誦、文法補強中心、比較文化論)、昼食をはさみ、夕方5時まで、英語のシャワーを浴び、その後、夕食をパット済ませ、風呂にドブンと浸かって、また英語と、一日中、英語のみの毎日。そして9時の反省会。10時半の消灯と続く。その後は、流石に、いびき、いびき、いびきの嵐。翌日は、またその繰り返しが待っている。
アメリカで暮らしていくには、強靭な体力、くよくよしない精神力、道具として使いこなせる英語力の、三拍子が強く要求される。最も、この研修の目的はこの三つの条件を克服することにある。アメリカの農業はメキシコからの出稼ぎ移民によって成り立つ。彼らの多くは、皆が寝静まった夜中にアメリカの国境地帯を、必死に走ったり、泳いだりして、やっとの思いでアメリカ側にたどり着く。そして、お日様の下で汗水垂らしてアメリカドルを稼ぎ、本国に住む愛する妻や子ども達に黙々と送金する。私もメキシコ人の仲間と、コロラド州デンバーの日本食レストランで、半年ほど皿洗いをした経験があるが、私の知る限り、彼らは一様に体力があり、手際よく確実にサッサと仕事をこなす鉄人の集団である。湯布院で出会ったニッポンの農業研修生が、メキシカン・パワーに負けずとも劣らず、アメリカ大陸で精進して行く事を願う。
第8回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年11月号から転載
米国で、English-Japanese bilingual wanted! (英語と日本が話せる人、募集!)の求人案内を、ニューヨークタイムス等の日曜版に載せると、その週の金曜日の午後には、沢山のResume(履歴書)で、私の机の上は山積みになる。それをレターナイフで、一つ一つ開封する。Resumeの送り主は日本のパワフルな女性達だ!
米国企業の雇用三原則は、実力、経験、能力である。つまり、会社は「利益をもたらす実践力保有者。」を最優先に雇用する。年齢、性別、人種、宗教、赤ちゃんの有無が雇用基準に響くことは殆ど無い。実際、子供を持ちながら第一線で働く、エネルギッシュな米国女性は沢山いるし、また、専業主夫の任務につく米国男性も増えている。そうなると、そうすると、日本で10年そこそこ働いて、実務経験と、いくらかの日本円を蓄えた、エネルギッシュなジャパーニーズウーマンが、留学転職情報雑誌を抱えて、不思議の国ジャパンより、米国主要都市へ乗り込んでくる事になる。私が、ざーっと、履歴書を拝見する限り、個性的、独創的、知的で、各分野で実力と経験を積んだ頑張り屋さん達は沢山いる。
ある土曜日の午後、玉名の住家で、ぼーっと、テレビの横で、ごろ寝をしていたら、「日本の女性は美しい!」と言うキャッチに、軽快なリズムが流れるBGMで、美しい日本人の女性モデルが登場する、ある化粧品会社のコマーシャルが目についた。 「日本の女性は美しい!」
Yes, I think so, too. (私もそう思う。)しかし、その知性、教養、気品、やさしさ、に満ち溢れる、優秀な日本女性のブレーン(頭脳)が海外に流失している。しかも、それは確実に、そして、ゆっくりと。皆さんはこの事についてどう思いますか?
第7回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年10月号から転載
アメリカの大学でマクロ経済学の授業をしていた時にopportunity costの話になった事があった。この言葉を辞書で調べて見ると「機会代償」と訳されているのが通常だ。と言っても、これでは何のことやら、さっぱりわけが解らない。早い話、「二つ以上の選択肢の中から、一つの事を選択しなければならない場合、必然的に、他を選択する事が出来なくなり、その事から生じる、機会の損失。」とでもなろうか。二兎追うものは一兎も終えず。どっちか一つを選びなさいや!ということだ。
家内と私はアメリカに20年前後住み、今月でちょうど一年の日本滞在となる。お陰様で、子供達の日本語も、やっと玉名弁らしく聞こえるようになってきた。「アメリカと日本とどちらに住むの?」と、人からよく聞かれる。アメリカに住むとなると、お味噌汁が恋しくなり、日本に住むと、チキンスープが恋しくなる。一つを選択すると、もう一つを選択する事ができない。日本の事だけ知っていれば、それはそれで幸せに過ごせるのだが、アメリカの事を知ってしまった事により、生じる心の葛藤。またはその逆の状態での心の葛藤。このような心の状態を、昔のギリシャ哲学者達は「智恵の悲しみ」と表現した。どうも、人間は知らなくていいことまで知ってしまう事により、喜劇ではなく、悲劇の主人公になってしまっている事が時々あるようだ。
秋の夜長、開高健のオーパー・オーパーをごろ寝して読んでいると、「人間一番幸せなことは、自分の居場所を本当に見つけられた人やで。生まれた国が必ずしも心の故郷であるとは限らず、インドに旅行で行って帰ってこなくなった人や、アフリカに行って戻ってこない人がいる。その人たちは、その場所で、心の故郷を見つけることができた幸せな人やで。」と言っていた。それでは、私の心の故郷はどこにあるんやろうか?
第6回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年9月号から転載
米国西海岸・ロサンジェルスより24名の中学生が玉名にやって来た。彼ら(彼女ら)は玉名地域の一般的な家庭でホームステイ体験を楽しみながら、玉名にある、中学校のバスケットボールチームを中心に、国際交流試合を満喫した。休みの日には、熊本、福岡への日帰り旅行やショッピングも楽しんでいたようだ。
ロスよりの中学生は日系四世だ。つまり、彼ら(彼女ら)の曾祖父母は、明治初期に太平洋の大海原を、船で一ヶ月以上かけ横断し、米国に移住先を求めた人達である。その子孫にあたる四世達にとって、日本は外国であり、日本語も外国語である。日米の生徒達が、試合中は健康的な汗をかきながら、コートを自由自在に縦断し、試合後は、たどたどしい日本語とブロークンイングリッシュでコミュニケーションをとる。とっても、すがすがしい光景だ。 四世達はコートに入る前後の礼、試合前後の対戦チームの監督、コーチ、応援団、そして審判への礼を欠かさなかった。おじぎの仕方の、ぎこちなさ、たどたどしさが、妙にもどかしかった。きっとロスを出発する前に即席で叩き込まれた作法であろう。「郷に入れば郷に従え!When
in Rome, do as the Romans do!」の精神で。大切な事だ。
玉名のホームステイファミリーも、言葉や習慣の違いを体感しながら、貴重な異文化体験をされたことだと確信する。日本人の血がどこかに流れている四世達が、曾祖父母の祖国である「ジャパン」を学びたいという、かたくなな思い。また、四世達に「ジャパン」を是非知ってもらいたいという、ホストファミリーの心配り。両者の思いが炸裂し、夏の線香花火のように、緩やかな、優しい火花を散らした国際交流だった。
第5回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年8月号から転載
米国コロラド州デンバーに住む長女のエイミーが、7月20日で玉名女子高等学校での体験入学を無事に終えた。校長先生を先頭に、担当教職員の、約一ヶ月間に渡る、エイミーに対する柔軟性、包容力、教育的配慮に脱帽したい。
熊本県玉名市と米国アイオワ州クラリンダ市は姉妹都市関係にある。 毎年、夏になるとクラリンダ市にあるクラリンダ・ハイスクールより留学生が玉名女子高等学校にやってくる。 また、玉名女子高等学校からも、クラリンダ・ハイスクールに留学する生徒もいる。 何はともあれ、留学生の受け入れに熟知している玉名女子高等学校がエイミーを受けてくれた事は本当に有難い。感謝している。
留学生を受け入れる学校も、受け入れられる留学生も、お互いに、文化や言葉上のギャップがある訳だから、時には、誤解、勘違いをする事もある。 私はそのギャップを対話や協力、そして、ちょっとした妥協を通して乗り越えることができると信じている。 また、そこに真の異文化コミュニケーションの意義があるとも思う。
最近、機会あるごとに「英会話を上達するためにはどうしたらいいの?」とよく聞かれる。その度に「英語の難しい言い回しやハイレベルの専門用語を勉強するよりも、まずは日本語で身近な話題、例えば、自分の事や家族の事をきっちりと話す習慣をつける事が大切ですよ!」と言うことにしている。「ザ! まなびば」は日本語で身近な話題を表現できる力や、表現したい気持ちをモットーにした「英語をまなぶば!」であり続けたい。
第4回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年7月号から転載
アメリカ・コロラド州のデンバーより大学教員のJon(ジョン)と彼の奥さんのDonna(ダナ)そして私達の長女のAmy(エイミー)
がやって来た。ジョン はホノルル、東京、千葉、静岡、熊本、広島、名古屋、大阪、京都、和歌山で英語教員、ALT、英語学習者を対象に英語教育法のセミナーを行う。家内と私はそのセミナー日程の交渉と調整をする役。ダナは陰で夫を支える役。そして長女のエイミーは7月末までミヤモト家に隣接する玉名女子高等学校へ体験入学する。
今回は3人の歓迎会を、塾生やその家族・友達の皆さんと楽しんだ。Potluck party(ポットラックパーテイ)形式で! Potluck
partyとはアメリカ開拓時代に、皆が有り合わせの食べ物を、鍋や釜に入れて持ち寄り、新入植者を歓迎した事に由来する。Potluckの
pot はお鍋を意味し、luckは有り合わせだけどお気に召すものがあればラッキーだね!という意味が含まれている。アメリカではWon't
you stay and take potluck with us? (お帰りにならないで有り合わせですがご一緒に如何ですか?)と言って知り合いを食事の招くことが日常茶飯事だ。
次女のReinaや長男のTaikiもパーテイの用意を手伝ってくれた。パーテイ会場である、ザ!まなびばは大勢の人でごった返し、玄関と勝手口は脱いだ靴でハリケーンの去った後のような様相だ。自分自身の靴を脱いで塾の中まで達するには、既に脱いである他人の靴の上を忍者のようヒョイヒョイと、飛べ越えない限り無理だ。本当に沢山の人が来てくれた。日ごろより有り難く思っている。有り合わせだけど、何かお気に召すものあった?
この時の様子はアルバムへ
第3回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年6月号から転載
ゴールデンウィークは家族で阿蘇の小国にある、B&Bに泊まって、温泉三昧<hot spring hopping>に明け暮れた。ビィ&ビィとは何ぞや? 最初のビィはBedの略で、次のビィは
Breakfastの事。早い話が西洋版の民宿です。ここでは、寝る場所(ロッグハウス調の落ち着いた寝室)と朝飯(地元の食材をふんだんに使った料理)が提供される。また、五右衛門風呂があり、ゆったり、のんびり、おおらかに、蒔で沸かした湯にドボンとつかり、窓越しに広がる広大な阿蘇の景色を、我が物顔に横目で眺めながら、甘く、ここちよい、蒔の燃える匂いに陶酔できた。夜は夜で、宿泊客が、B&Bのご主人を囲み、誰かがその辺で採ってきたワラビを肴に、阿蘇の焼酎で乾杯した。「贅沢な一日だな!」と思った。
さて、英語のRichと言う形容詞を英和辞書で調べてみると「お金持ちな、裕福な、豊かな」と経済的な豊かさをフォーカスしている説明になっている。しかし本当にその様な意味なのか? 私は機会あるたびにRichの持つ意味について、アメリカ人の若い実業家や初老の富豪家と議論するのだが、どうも彼らはの多くはRichな人とは贅沢ができる人であり、贅沢とは「普通に生活できるお金と、少しばかりの蓄えがあり、且つ、時間にゆとりがあり、大金を使わずとも、人生の楽しみ方をその人なりに知っていて、またそれを実際に実効している人。」と定義している。そういう意味では小国で過ごしたゴールデンウィークは大変Richな日々だったような気がする!
第2回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年4月28日号から転載
先日、大学の卒業レセプションに参加する機会があった。スーツ姿や和服で着飾った教え子達と思い出話に花を咲かせた一日だった。食事も和食、洋食、中華などのオンパレードで、アメリカ式ピザ、ハンバーガー、ホットドッグの三点セットに慣れ親しんでいる私の胃袋は、ビックリ仰天状態だった。お互いのことを知らない同士が会話を楽しむのが、アメリカ式コミュニケーションなのだが、よく見てみると、参加者は知っている人とだけで、話が盛り上がっているようだった。やっぱり日本人は、知ってる人としか話したがらないのかな?と思った。
さて今月は、レセプションなどで会話を切り出すときに役立つ口語表現を幾つか紹介してみよう。まずは、定番のHow are you?
お元気ですか? だが、実際は、元気?調子どう?程度のニュアンスだ。また、時と場合によっては、How do you do? を使ってみてもいい。これは、結構、丁寧で堅苦しい表現だから、一般的には、アメリカの高校生には不向きだ。現在、コロラドのハイスクールで勉強している長女は、もっとカジュアルな表現で友達と話している。例えば、What
is new?今日なんか新しいことでもある?とか、What is up?何か面白いことある?What is going on?どうかした?What
is bouncing?最近どう?などがその一例。シャイな日本人も頑張ってレセプションなんかでは、色々な人に声をかけてみたら、新しい出会いがあるかも?
第1回 Hiroshi とKeikoのちょこっと英会話
ふれあい倶楽部 2006年3月28日号から転載
皆さんこんにちは!アメリカ・コロラド州デンバーから年末に玉名に引っ越してきた宮本博史と桂子です。アメリカでは学生時代からいろいろな事をして生活してきました。日本食レストランで皿洗い、バーテンダー、ウェイター、すし見習い職人、植木屋小僧、土木建築作業員、米軍基地での日本語教師、貿易業務、そして最終的に本業となったのは高校・大学での留学アドバイザー・カウンセラーと教員職などです。
「ザ!まなびばは」年齢制限がなく9ヶ月の赤ちゃんから定年退職を迎えた方までがお越しになるアットホームな英語・英会話専門教室です。子供に英語を!英語を得意分野に!大学受験頑張るぞ!TOEIC高得点を!海外旅行を楽しく!高校留学!外国人のパートナーがいる…などご興味の方は一度、ご相談に来てください。
このコラムでえは、我々のアメリカ体験、英会話上達法、日本でのカルチャーショックなどを中心にご紹介します。そこで読者の皆さんにお願いがあります。英会話の表現、アメリカ人の行動様式、英語コミュニケーションのとり方、趣味遊び、食べ物、生活スタイルなどの疑問・質問をメールファックスでお問い合わせ下さい。紙面にてお答えしていきます。
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